この冬は寒い寒いと籠りゐて庭の花木に目もくれざりし

嫁ぎ行く娘の荷を送りて広き部屋今にし思ふは夫の胸中

柚子の香の満ちたる湯船に浸りつつ心さやかに除夜の鐘きく

電話にてわが詠める歌をほめられぬどこの誰かも知れぬ人より

町をあげて短歌に込めゐる鏡野の熱き心に触れし一日

人声も車も途絶えし午下り竹の葉一枚そよがぬ寂しさ

亡き夫の魂の還るか盆の夕風に揺れゐるカーテンあたり

嫁ぎ行く娘の荷を送りて広き部屋今にし思ふは夫の胸中

亡き母の齢たどりて八十年その顔立ちは母似と友言ふ

枝高き柚子の小花に祈るなり今年は黄色の実をつけくれよと

八人の我等を育みくれたりし亡き父母を思はぬ日ぞなき

春浅き井原の地に立つ石像の「嫁いらず観音」天にとどくがに

月なみの歌ほめくるる出版社レベルの高き「龍」同人われ

暗がりに雪を掬ひて塩かけて友と食ひにし学徒動員の寮

大和なる生駒の峰より見はるかす海のごときは大阪市かも

赤き実を枝もたわわに実らせて乏しき村に色そふる柿

黄金なる稲刈りとられ冬色に田は安らぐか役目果して

秋の野に今をさかりと曼珠沙華紅き力をわが身にほしかり

すんなりと背丈伸びたる孫娘和服の着付け習ひゐるらし

今宵こそ一夜限りの夏祭り出店に酔ひて寸劇に酔ふ

寂聴の光源氏はみやびなりテレビの画面に釘づけなる我

待ちをりし週刊ステラ届きたり何をさて置きクロスワールドパズル

冬色のままにて若芽の見えぬ春樹樹に異変を起こししは何

ふるさとの丘に建ちゐる中学校へまはり道する遊び心で

ふるさとの幼なじみの友の店思ひ満たさむと車を走らす

遠住める三歳下の弟よ子のなきままに喜寿迎ふるか

幼らとわらべ歌うたふを職として老いて今なほピアノにふれたし

わが町の有志の手になる文化展四十一回目の熱きに触れをり

七年を通院すれどもわが足の癒えざるままに冬となりゆく

草刈りて山より帰る母の手に山百合の白やさしかりにき

十五夜にひと夜ひと夜を近づくか月ようめてよ吾の心を

戦にやぶれ六十余年を経りたれど舞鶴の地に我は涙す

大阪の空に向ひて語るなり「辛くはないね男の子だもん」

娘の揚げし山蕗の薹のさみどりのその良き風味今日も恋ひをり

男の孫は後数日で大阪へ旅立たんとす生れしわが家を

美しく友の歌ふを三拍子四拍子とも聴く「1千の風になって」

三日経れど未だ消えざる暮れの雪青菜もすっぽり隠したるまま

眼鏡をかけ長き棹持ち差し伸べて柿を採りをり我のみ食べむと

わが町の秋のイベント文化祭嫁ぎし子は言ふ「パワーがあるね」と

穂芒のやさしく揺るる峡の道行けば太陽沈まんとぞする

朝まだきを寺の鐘ひとつ聞こえきて今日大晦日気もそぞろなり

わが町の「作東の文化」三十冊ひもとき見れば亡き夫に会ふ

裏庭に藪椿見むと歩み出で黄も鮮やかなる福寿草に会ふ

さぎ草の球根堀りて植ゑをれば今年も聞きたり鶯の声

満開の梅の花にも雪の花三月尽の積雪まぶしく

睦まじく八人きょうだいで育ちしが兄と姉逝きて長はわが身よ

小鉢ながら紅白巧みに咲き分けるさつきの芸の奥の深さよ

梅雨あけの空に号砲響きたりまた響きたり今宵は祭りぞ

ひとつづつ処理してゆかむと思ひしに後でいいよともう一人の我

通院の路の辺に咲くコスモスの濃きと淡きもたをやかなりけり

夜来の雨に生気もどりし富有柿の赤き実が映ゆ小粒なれども

心して活けたる花をほめくるる吾の血を引くかこの孫娘

ハンドベルの清らかなる音流れゐるクリスマスの夜をゆたかにあらな

裏に返し表に返してストーブに衣類を乾かすなり老いの日課と

お早やうと交はす言葉も歯切れよし春の光の満つる朝は

たまさかに車で通る古里の本町筋に人影の無き

昨年の猛暑の故か「竹の子の出が悪い」と邑人言ふなり

台風に追っかけられて焦るのか朝まだきより田植機の音

空にむきすっくと伸びたる立葵淡き色よし濃きもまた良し

又しても梅雨の終りの大荒れに目を覆ひたき災害の跡

手の内をするりとぬけし黒揚羽何処より来し紫の紋様

肌に吹く那岐高原と同じ風友らと和みし旅を浮かばす

小倉山の小道かき分け登り来て時雨亭の礎石手にふれて見る

大堰川の井堰の水よしがらみを通れ流せと暫し立ちをり

川向うを走る車もたどたどと峡は静かに白の世界よ

しろ銀の那岐山見えたり北の空の分厚き雲の切れたるはざまに

わが身には叶はぬ程の草を引く萎えたる足を庇ひつつ引く

それぞれの名にたがはぬかさつき花そを確かめむ足しげく見む

藪かげにすっくと立ちし半夏生きはだちたる白何をや語る

たまさかに顔揃ひたるわが身内話ははずむも夫は在らざり

大型の台風地震にテロリズム由由しき事態此処に極まるか

諸寄の資料館にて純孝の凛凛しき写真にたじろぎをりぬ

村人ら圃場に集ひて杭うちをれば飛行機雲が空を二分す

みづからの進路めざして巣立つかや孫娘十九今日卒業式

わが里も娘の嫁したる粟倉も半世紀経て美作市となる

よたよたと乱るる足にて水をまく鷺草の花咲かせむとして

わが巣よと帰りこし燕かげも無し道路工事の音のみ高く

瀬戸内の鞆の浦なる浜に来て万葉の歌の檉の木憶ふ

冷蔵庫はわれの所業に唸るがにはた喘ぐがに音をたてをり

ホテルにてひと夜を短歌を語りたり職を共にせし媼四人が

老いるとは淋しきものよ月づきの書棚の冊子も捨てねばならぬか

沼沢の景色を活くる生け花の紫かきつの色の深さよ

 森本かよ子 作品集