一片の雲の浮きゐる村の空今一色ぞ茜となりて

雲が舞ふ見上ぐる我に雪が舞ふ薄き白髪を嘲笑ふがに

雪雲が突然裂けて差すかげにぴかりと光るか婆の持つ鍬

両の手に顎を支へて眼を瞑りしましを居れば亡き友が呼ぶ

霜月を約して建てしは歌碑なれどまことは墓碑ぞ晴れ事を見せ

まろやかにいとまろやかに萌えくるか終の栖の村の山山

雪被る行者の峰を背に負ひて膨み見せくるわが村の山

天皇を同じ齢の我にしていとも安けく行きてはをりぬ

またしても曇り来たれる村の空校舎の跡地が売りに出されて

照り翳りては降る雪に倦みて暮れゆく睦月の晦日

あの世への準備は何もしてゐません今日と明日の準備に追はれて

三朝なる利玄の歌碑に手触れつつ「百姓」の文字を指になぞるも

勢力の拡大のみが見えてくる無明の喜劇に憮然とをりぬ

わさわさと松のさ枝を揺すりをり古葉はさつさと落ちてしまへと

澄みとほる空は秋なり照りつくる陽は真夏なり政界は冬

日の光いよよ増しくる昼下がり山懐の深き暗さよ

をさな名に呼びてくれゐし人はみな逝きてしまへりまた盆が来る

早苗田のかたへの畑に花咲かせ媼の姿は見えざるままに

黄の花がわんさと咲いて風吹けばわんさと揺れて老いらを招く

梅・桜・桃も枝垂れぞ伸ぶるなら下へぞ決して上は目指すな

はんなりと萌えくる村の山々に老人会には入らぬと決めたり

凡俗から高き文化を生み出すは短文芸なり疎かにすなゆめ

やはらかにあをみ増しくる村山に我は会へたり七十七年目も

どんよりと曇れる下びにどんよりと村があるなり我らの村が

子に説教されてをります反論はしてをりません妻の目交せに

畑捨てし我に見よとや爺婆が草を抜きては畑を打ちをり

里山は荒れ果てにけり村人は老い果てにけり驕るは獣ら

日が昇り日が沈むことなど当然と思ひて過ごして七十四年ぞ

日本語を母国語となす我らこそ歌を詠み継げ言霊をこそ継げ

冬の日の翳るにいよいよ暗さ増す村に住まへば沈むほかなし

玉ありて珠あり魂あり霊ありて日本語はかくも神に依りゆく

上枝にてやうやく咲きし花一つ雨に打たれて地の紅となる

毎日を忙し忙しと言ひにつつ苦しみゐる我愉しみゐる我

雲低くせまれる葛城暗くして亡びの歴史は見せざるままに

れてより幾度切りし爪ならむぽちりぽつりと硬きを切りをり

梅雨空を押し上ぐるがに並み立てるクレーンの爪が今母校を刺す

窓開けて見下ろされゐるは起こされて雨を待ちゐる田の土と我

村山の雑木の梢のさみどりの葉群れの陰のそのやさしさよ

山並をなべて隠してたつ霧に老いらの村も天に繋がる

春耕を終へたる田畑のくろぐろとあまねき陽を吸ふここは美作

参拝を終へて下ろす古里の穏しく貧しく昔のままに

墓の辺に落ちゐる杉葉を掻き寄せて積み上げをりぬ罪の嵩とも

さいさいと雨降りくればさいさいと散りゆくもみぢよ思い切れよと

裏庭にいつしか幾本生ひ出でて棘の鋭さ競ふ柚子の木

わが村に疎開して来し女童に恋をしたりき初恋なりき

夜が明けてまた日が暮れて明けゆくを当然の事として七十余年ぞ

飾らざる歌こそ良けれ老いの身に鞭打つ農の歌こそ良けれ

わが村に小さく懸かれる虹の下くぐりてい行けば亡き児に会へむか

山の端に没らむとする日をつばくらめ斬りて飛びたり右袈裟懸けに

山女魚一尾釣りて嬉しやその命絶ちて悔しや春のひと日を

雑木木の紫けむりてやはやはと萌えくるものを老いゆくものを

紫に裸木染めつつ夕かげは亡びむ村をやはらに包む

灰色の空をそびらに聳えゐる那岐連山の泰然たる冬

峠路を登り来れば北遠く見ゆるは村ぞわが魂の里

雲ひとつあらざる青空人ひとり見えざるわが村満つるは光

若者の住まざる村の篁に憑りいる闇がまた闇を呼ぶ

ぽっかりと雲が浮んでぽっかりと月が浮んで面輪が浮んで

生かされて生き継ぎて来し島人の憩ふ背後の幾万年や

むせかへる葦をかき分けめざしゆく川瀬は遠し鮎缶重し

吹く風に揺れゐるばかり葉桜となりてざわざわ揺れゐるばかり

亡びてはならぬ村ぞと精一ぱい萌え出でたるや櫟林は

紐鏡能登香の山の雑木木の木末うるうる陽にゆるびつつ

 所得税住民税に保険料御供御布施命ありて要る

たたなはる山の向うに待つものは凶かや吉かや越えねばならぬ

たらちねの母が呼ぶ名を呼びあひて会ひゐしことも遥けくなりぬ

時経てば事は畢りて時経てば事は始まる輪廻のごとく

日は昇り過疎の村にも日の差せば老いらに畑打つ時は来向ふ

獣らの界犯すにか鹿跡坂を登れば雪墜がまた我を打つ

ぽつかりと白雲浮きてぽつかりと父母浮ききて遍照金剛

降る雪に被はれてゆく野仏よ胞衣に安らぐ様にも見えつつ

枇杷の葉のはざまに嵌りて夕つ日が沈みかねをり小鳥よ啄め

つむりたる眼の暗さがわが裡にひろごり来りて無明の眠り

住む家も住まざる家も高高と甍に春陽自己主張する

もあんもあん里山日に異に太りきて老いらのこの村押され気味なり

自然悠悠青葉悠悠庭過る猫も悠悠桜は散りて

羽根破れし蛾の一つきて止りたる網戸が濁世の入口と化る

鋭くも射し来る光に明暗の界が対峙す互に聳えて

向う山に蜩鳴き立つ何物も近寄せがたき闇を従へ

流星は消えたり暗き湖を突き刺すごとき光を放ちて

雲ひとつあらざる冬の空の下バレンタインの愛のわが町

教育疲労経済疲労政治疲労国土疲労の国ぞ少名毘古那よ

村山は萌えたちにけりわが裡を占め来し悔いをいとほしむ季

恋の歌詠めよと勧むるわが声に九十二歳が大きく息吸ふ

濃く薄く四国山地の暮れにつつこの世に我の在るも在らぬも

ひそやかに閉じては開く黒きはね闇招くがに闇払ふがに

雨をつき梅雨雲つきて競ふがに伸ぶる杉杉杉の直立ち

ビンラディン・ブッシュ・フセイン呼び捨てに伸びたる松の芽剪り捨ててゆく

今し今海にしおちむたまゆらを日は染めあげぬ隠岐の荒波

垂れこむる雨雲暗く黄葉暗く暮れてゆくなり病める山里

夜の闇の包みきれざるままにして白じらと寒し田畑も家も

山並の雪さむざむと暮れ残り裾野の村は灯を点しけり

サクラサクラさくらさくらと声にして仰ぐ桜の一樹の結界

高だかと伸び立つ赤松大山の裾野を占めてほがらほがらに

瀬の音も河鹿の声も聞きたるをひと日の釣果と鮎竿しまふ

金ブンがからだを立てて飛びゆけり炎昼の有隙極まるときを

ま澄みゐる流れの底に沈みゐて落葉は艶めく命あるがに

思案げに低き枝より見下ろして尾羽も振らぬ百舌よ国連よ

星空を碁盤となしてうちをらむ初代永世山陽本因坊奥村卓雄は

ま澄む水に差し入れにけるわが指のじんじんとして灰の水曜日

隈隈につつじが赤く咲き出でぬ昔昔の話をせぬかと

照りてなほ翳りてなほもふくふくと青葉かさなり青葉かさなる

黄の蝶の縺れつつ飛ぶ峠路に綯い交ぜとなるか行く末来し方

湯に浸りああああああと言うてみる言ひみるほどに出でくるは恨

伸び立ちて擬宝珠の花は咲きけり平成の世を疑ふすべなく

尽の日を余光に染まりて流れゆく一片の雲九月の残心

枝低く飛び来し百舌が鳴かぬまま地に降りたるを見てしまひたり

枇杷の花をこはさぬほどに蜜吸ひて目白が小首をかしげてをりぬ

 関内 惇 作品集