四苦八苦なほ「インフル」も加はりて重くて飛べぬか日本航空

命あるもののかなしさ晩秋を軒の日差しに動かぬかまきり

つつと出できよろきよろ見廻し吾を見てつつつと消えし大き蜥蜴よ

辛うじて六十余年を連れ添ふに結び目朽ちてささへあやふし

華やぎし時を去なして地に伏する水仙の葉の黄ばみのはかなさ

わが畑に並み立つ葱の秀が動く意思にて動くごとくに動く

ふる雨に桜の花のぬれながらそれぞれ落とす露のいろいろ

畑草を抜き終へ火照る我が頬をさらさらなづるさみどりの風

夜泣きする吾が子一歳背に負ひて乳の足りぬに共に泣きにき

一つ二つと寺に鳴りゆく鐘の音は人それぞれの思ひに消ゆるか

満員バスにて席をただちに空けくれし女子高生の温りを受く

二つある古びし椅子はバス停に暑さ寒さを共に無言に

雑草とも生き長らへて定位置に二つ湯呑が今朝もあるなり

川岸に風倒木となり果てて水面にゆらゆら骸を晒す

幾千の眼再生したる手か赤き灯の下わが眼の手術ぞ

雨の量は雀の涙で梅雨が明け人も野菜も熱中症ぞ

この跡は子連の猪の足跡か早くもねらふか畑の馬鈴薯

衰ふる視力耳鳴り嘆かじと我が老ひざまに気を張り対ふ

歳重ね転がる様に暮れゆけど年金リズムで行くしかないか

かと言つて賞味期限は一日切れ捨てるに惜しいおたふくまんぢゅう

意思半ばに鍾乳洞探検に命絶つその父母いかにや外は寒ざむ

紐切らず紙も破らず小包解く戦時下の慣ひ今に継ぐ吾

医療費と年金が国を揺らしゐてにがきコーヒー掻きまぜてをり

千の傷つけて磨きしこの鍋よそつとそのままそのまま隅に

八十一歳の同級生の有志会ちゃん付けで語る夜更けて尚も

黒豆の畑の畝間に走り水通してやれば生きづく葉群か

水桶の浅蜊が夜更けて音をたつ半透明の舌とがらせて

諍ひて背を向け耐へ来し日も遠くもちつもたれつ夫との半世紀

来し方の喜怒哀楽をにじまする道具衣服を捨て難くをり

食糧無く紙なく糸なく布もなきかの日も遠くうすれゆく世か

巻く形保ちてそれぞれ露をのせ並ぶキャベツよ朝光の中

朝早く炊かれし御飯のまどかなる匂ひたちきて今日の始まり

味噌豆をふつふつと煮る大釜にもつれてよぢれて湯気昇りゆく

散りしきる落葉は土を黄に染めて又咲くさつきの肥やしとならむ

一言に傷をつけられ一言が傷を付けをり疼くは胸ぞ

地下足袋の小鉤をしっかり止め終へて六畝の小豆の最後を抜きたり

吾が家族が深夜に帰ると裏玄関に「お帰りなさい」の豆球点け置く

切り藁を押し上げのぞく白菜の黄色のふた葉よややに露帯ぶ

黒豆に小豆に大豆の収穫と八十路のわれは地下足袋ぬげず

転作に作りし小豆よ干し上り艶つやと枡をあふれくるな

口一ぱいに乳房ふふみしみどり児の母となりたる孫の笑顔よ

二人寄り三人四人と寄りて来て語る媼らにとんどの温もり

流されて川辺の枝にあせし布我が言問へば何んと言ふらむ

ながらへて小さき幸せ守りゆく冬の晴間を浮き雲二つ

早春の光まばらに零れつつ竹の間に小鳥の影みゆ

すでにして老いはこの身ににじみしか泥付く鍬に錆の浮くごと

八十路越え吸っては呑んでは「いまさらに禁煙禁酒出来ぬぞ」と夫は

雨止みて葉先に露のたまりては落つるを受くる葉にゆれやさし

漫雨の降り撓めたる豆の枝の末葉にすがる蝸牛かな

年金をたよるほかなき吾が暮しあはてて出るなよ「福沢諭吉」

動きとれぬ心が深みに沈み込む堪へよと吾はわれに言えども

人生列車脱線なしつつ走り来て事無く着きたし終着駅へ

言ひたかる愚痴をたたんで折りまげて動ける幸に今日を惜しまず

二十五年を看取り姑も逝きて十年浄土いかにや今日は命日

手入よき林檎の残雪をふみつつすがし枝のしづれも

我いまだ動ける行けると若やぐもいつはらぬ鏡冷たく光る

人生の長距離レース走りつつ事無く終へたしランナー吾は

真夜目ざめからからのどにとほりゆく冷たきお茶に騒ぐ自意識

「もう出来ぬ」と幾たび言ひつつ丸き背に草苅機負ひて夫は出で行く

やうやくの想いに作りしガラス戸が雨に打たれぬ廃材となりて

蜩の声聞くたばに懐ひをり除草機肩にいそぎし家路

夕食に長ながと飲む夫の酒席も立ち兼ね話を聞かな

何者かがせまり来る夢に覚めたれば茅にて切れし指が痛むも

余命など知る無くただに飛びてをりとばねば打たるる蝿にあらぬに

一滴に全身清しくなりゆけり朝の目覚めに落す目薬

赤ん坊を抱いて見送るその母と目裏に重ぬ昭和十八年を

米芋をお国のためにと供出し大麦飯を食ひし敗戦の日

呆けるなよ鏡にうつる吾に言ふ頭の体操と歌詠みつがん

賞味期限きれて間のあるわれなるか力む程にし痛む足腰

土管より絶ゆる事なく水流れ早苗を育む広田に満ちゆく

ゆるぎなきひと日の生よ陽の照りに青葉がくれに紅さすトマト

吹く風に右へころころ左へころり発泡スチロールの箱信号機の下に

雨に濡れ朱色は尚も濃く見ゆる郵便ポストの内側は闇

とんどの焚火に向三軒両隣媼はかたる火の消ゆるまで

ひたすらに農に生ききて生くるなり市にはなれども農に生くるなり

く広き道をまほろば求めて急き行くか一寸の虫数多の足にて

ブランコをはづされし校庭に西日差し忘却のごとき地のくぼみ四つ

目薬の雫はつひにほほ伝ふ吾が白内障の完治あてなく

炎天下三十三度に汗汗汗のクリーン作戦草刈機は唸る

 新免 初子 作品集