八十の齢を重ねて今日の日も登る坂道老の坂道

冬山は闇の中へと消えゆきて庭の裸木影とも立つなり

王朝の世にもありしかかたかごの花摘みをりしか乙女子たちよ

夕光に静かに開くか月見草我が村の野にひっそりと咲く

はつ夏の光さしくる里山ようつぎの木木に白き花咲く

波佐間島に当りて砕くる荒波の真白き飛沫は滝のごと落つ

日は沈み黄昏せまる山山を狭霧は薄く包みゆくなり

満満と水を張りたる広き田は屋並映して揺らめくがにあり

妹の送りくれたる新物の若布は潮の香り包むか

灰色の雲集まりて小房山の空暗みゆく季節となりぬ

霜枯の農道歩めば萌黄なす芽を持ちをりぬ雑草ははや

嫁して四十年粟井の村に春たけて能登香の木木は芽ぶきゆくなり

わが家の上に声あり夏つばめ巣立ちし雛も声を交へて

夏山は青あを青に包まれて奥処に聞こゆる松蝉の声

ぼんやりと唯ぼんやりと窓から見る不動の山は静かに暮るる

四月なるに鶯の声遠のきて早や聞え来る時鳥の声

一面に水を張りたる広き田が夕日を映しぬ鏡の如く

波の下に夕日は沈み島島は影を残さず闇に吸われる

吹き渡る風に稲穂は波打ちゐしがまた降る雨にたたかれ伏すなり

日の暮は杉の山山包みきぬ深き眠りを誘ふがごとく

暮るる日に山の裸木影落し細き枝枝闇に吸はれぬ

白波が寄せては騒ぐ館山のあの堤防に再び立ちたし

夏空が日毎に高くなりて来て夕吹く風に秋の匂ひする

早春の光を受けて枯草の中に芽ぶきぬ淡き緑よ

見上ぐれば日暮の空に舞ふとんびおひつ追はれつ大きく輪を描く

あゐ色のあぢさゐの花咲きをりてまひまひ二匹はひ出でてきぬ

野辺を吹く夕風ありて身をおけば昼の暑さの遠のきゆくか

大空を覆ふが如くに枝を張る桐の大樹を見上げてただ立つ

 安西  苑 作品集