空高く村にひとつの鯉のぼり水澄む田に影映して泳げり

コンバインも藁焼く人も田から消え栗の実落つるを静けさに聞く

止ることを知らぬ季節の移ろひに追はれて忙しく白菜を植う

逝く歳も頃合ありと負の思ひつのらせにつつ年あらたまる

気を変へて窓のガラスに指文字で足して削つて詠む投稿歌

草引く手が「あつ」と止まるまるまれる蝮にたじろぐ小さき夏の陣

梅雨空を訝りにつつ今日もまた雑念断ちて豆苗植ゑゆく

水やれば「シユン」と音たて弾く土に大根の種をていねいにまく

笑む顔はくれなゐ染むる薔薇のごとき二十の女孫に夏の日をどる

ハンドルの操作もいらず走れる道ふるさとでなき故郷を見つつ

霜の中草の芽息吹く畑を打つ育つ命を絶つ鍬冷たし

「仕分け人」が切り捨て凍結決めるなか木木の枯れ葉はそそくさと散る

「気にするな忘れ依怙地は老いの常」と黄泉の姑からエールが届く

じいじいじがしやがしやがしやがしやすういつちよ草むらの声夜をにぎはす

除草剤まけば根こそぎ草死すも刈りて青めるすがしさのよし

枝豆は「さみどりにあり」と決めこまず染みある莢の旨さ知りてほし

小豆もぐ手は機械とも動きつつ笛吹くごとき鹿の声聞く

御香料と書きしつつみをわが手にて君に供ふるは以ての外嗚呼

街の人に摘ませてあげたしわが畑の摘めば「きゆきゆきゆ」と音する茄子を

「純すいに詠もう思ひの七分目」と河野裕子は永久に生き継ぐ

花の色木の葉のみどり冴えわたる長雨の去りし日の明るさに

花まつり注ぐ甘茶に浮かびくる釈迦の教へは我にはるかなり

思考回路もつるる我に堅香子の花は紫に染めあがり咲く

よもぎ菜は日面の傾りの枯草の陰に小さく香もり薄く

障害を持つ子が笑顔で『がんばるけん』と言ひつつ出で行く二十歳の朝を

役目をへ音なく散りゆく柿の葉のひと葉を手にとり我を重ぬる

竿させばとどきさうなる山間に暮せばもみぢに足りる日日なり

草刈るを休みて畦に寝ころべばほどよき風の吹きてくるなり

木の揺れにわが靴音に怯え行く薄紙はぐがに明け来る朝を

古希きてもはじくるごとき友がをり囲むわれらに笑ひ絶やさず

委えし菜に水やる畑の日の匂ひ残れるままを夕闇つつむ

野に庭に夏を彩るさるすべり幹にさわれば花の笑ふも

稲を呑み山を削りて峽の川大河となりて濁流うねる

よき友に多く恵まれ支へられ黄昏の日日紅に燃ゆ

薄暗き志越乢をゆくその裾に歌を持ちゆく師の家がある

食べ残せし孫の独活菜を平らげて明日は咲くかと石南花見をり

春雨とまだ言ひきれぬ細き雨建国記念のひと日を降りつつ

竹の青と松の威厳に添ふる梅の門松は七十五歳のわれの力作

お迎への経をあぐれば影の顕つ足いたはりて杖持つ母か

肥沃土の産みし甘さか喉にしむ丸ごと食みをる真赤きトマト

「初鍬」の夜あけの畑に「」の字描く継ぐ者なきを愁ひながらに

ゆったりと浸りて足腰のばす風呂このくつろぎにひと日をとぢぬ

採算を思へば気さへ遠くなる百姓ぐらしをど根性でゆく

照りつくる日ジーンズのズボン乾きたり板のごとくに折れむばかりに

雨降れど掘りあぐる土は白きまま茄子の白根には届かざりしか

雲ゆきは「雨」と豆苗植ゑいそぐ脚強かりし頃にもどりたくして

一服の甘茶に教へのよぎりつつ清眼寺の庭花に充ち満つ

寒暖の激しき狂ひやっと去り桃咲く下に「とうもろこし」を播く

今日も行く利なき檜山にただ一人武士にも似たる魂いだきて

研ぎ冴えし初切る鉈に浮きあがりもんどりうつて落ちてゆく枝

年の功ここぞとばかり師範面孫したがへて門松造る

墓碑ごとにひとことふたこと話しかけひたすら草ぬく除草剤こばみて

きさらぎの畑に鍬もてば土の冷え地下足袋とほして足裏つたひ来

一歩づつ足おく位置を確めて急なる田岸に草刈機振る

道の辺にならぶあぢさゐ青毬がけらけらけらと笑ふがに降る雨

籾がらを焼きし夕べの食卓にわら灰の匂ひ連れて座しをり

つつがなく六たびの亥年迎へたり田畑荒さぬししわれでありたし

晴れの日が続きて真澄む空の下もえにもえ咲くサルビアの花

「瑞宝双光章横山猛」不動なる星は美作に永久に輝く

はつかたる紅葉見えつつ山脈はそぼ降る雨にけむりて遠し

遊ぶ子の無地の帽子にとまる雪銀色あはき花柄と化る

枯草の間の蓬つみゆけば香り添へくる蕗の小花よ

小走りに狸よこぎる夜あけ道雨ニモマケズを口ずさみつつゆく

独り座し経をあぐればありし日の顔がほ浮ぶ声ごえもして

舟もなく船もなく荒波うねりくる越前の海原じっとみつめつ

十歳から九十五歳まで四世代七人の昼餉の草餅の春

冬があり春あり仕へて五十年総仕上げなる母を看る日日

ゆるぎなく今日も今日もと照る日背に電柵つづく田の畦刈りゆく

庭土をおほひつくせる柿の葉の露しとどなる朝光いろどる

吊るされて葉茎のばせる玉葱よ土におろせと助け乞ふやに

四方に張る檜の枝のかげに憩ふればわれに給へる風か吹き

年金が買うてくれたる耕運機暮らす時世の有難さ思ふ

ひびきくる梵鐘ききつつ床に在り三百六十五日の無為を愁ひて

さまざまなる月日をこえきて繋ぎをるやはらき手よ姑は母となりて

やるまいと決めし心を山が呼びきのふも今日も槍の枝おとす

住む者なき荒れたる家を訪へば待ちくれし母の声かするなり

少しづつ少しづつ明け早まりて東雲の空月おぼろなり

霜枯の冬草ひけばしがみつき根を張る株泥手肌に温き

旧姓にて呼ばるる声にふりむけば「おかあさんによく似てきて」と故郷の人

ひねもすを吹くや吹かずの風うけてひとり鍬うつ桃咲く畑に

田植機がもの言ひながら植ゑてゆく手植ゑせし日は遠くなりたり

ぶだうの房隙なく粒のつらなりて捥ぐ手に堅くずしりと重し

すべてみな目分量にして手加減の母の柚味噌まろやかなりけり

生計のもとでとなりし畑なるに踏み入るすきなく草のしげれる

つつしみもはぢらひも失せし寝相なり目ざめてはたと足もとつくろふ

さはさはと仏の声か供花ゆれて香たく煙墓碑をめぐるも

うきたちて萌えそめし山に咲くさくら眺めて五日め黄砂がとざす

屋根の雪日面から順に滑り落つダダダドオン春はすぐそこ

簪や小道具付けを震ふ手にし老いを知らざるお雛を飾る

あぢさゐは打つ雨受けて花まりの揺れてゐるなり喜の声かする

梅雨あけもおぼつかなかる空の下青葉を抜きて稲穂は出でたり

台風去り暑さもどりて耳にたつみんみん蟬のはげしき鳴き声

 井上 智 作品集