鉦叩・蟋蟀・螻蛄さそひ出し声きそはすか天の夕星

くろぐろと熟せし野ぶだう食みゐるを野猿のごとしと背に笑ふ夫

八十となるも門限あるわれをカラカラカラとカンナが笑ふ

宿草の墓石を越ゆるを刈り払へば父が顔出す母も顔出す

欠かさずに日記をつけゐる夫なるに俺は一日何をせしやと

厨より離るることのうれしくて夫の夕餉の支度忘るる

佐用姫が裾ひるがへしゆく道に黄をきそひ合ふ菜花にたんぽぽ

水草の下辺に遊ぶ鮒の群れ小川の水もややに微温みて

ラッシュ時を乗車したるが運のつき冷凍苺のとけたるがにあり

鐘太鼓で呼び込まれたる商戦にわれも群れをり目を皿にして

隠れん坊の鬼にされてもついて来し友もたうとう逝つて終ひぬ

琥珀いろに熟して透ける西條柿鵯ならずとも思はず口にす

一丁の三味線抱きて三十年紫檀の棹も程よく馴染みて

一陣の風をまとひて育ちゆく植田の早苗はさざ波かぶりつつ

さみだれに芯まで濡れし老梅が宝のごとく実を生らせをり

くろぐろと熟せし野ぶだう食みゐるを野猿のごとしと背に笑ふ夫

八十となるも門限あるわれをカラカラカラとカンナが笑ふ

宿草の墓石を越ゆるを刈り払へば父が顔出す母も顔出す

欠かさずに日記をつけゐる夫なるに俺は一日何をせしやと

厨より離るることのうれしくて夫の夕餉の支度忘るる

佐用姫が裾ひるがへしゆく道に黄をきそひ合ふ菜花にたんぽぽ

水草の下辺に遊ぶ鮒の群れ小川の水もややに微温みて

ラッシュ時を乗車したるが運のつき冷凍苺のとけたるがにあり

鐘太鼓で呼び込まれたる商戦にわれも群れをり目を皿にして

「犬掻きでも三途の川は渡れます」と僧は言ひにき信ずるとしよう

真昼間を大輪の向日葵打ち揃ひ「たまりませんわ」と首をかしぐる

夜のうちに大捕物ありしか綻びを繕ひもせで眠りこくる蜘蛛

仕舞ひ湯に芯まで浸る日の果てを目つむりて聞くは有線放送

やうやくに咲きてくれたるぼうたんを愛でずて眠るは罪悪かとも

畑土に夫は牛糞撒き来しか牡牛が部屋に入り来る如し

鶏だんご鰯だんごをこきまぜて血縁でもなき夫と鍋つつく

野面には灰いろの雪降りしきり庭の玉柘植ゆるゆる太る

神飾りも終へてゆるりと湯に浸れば冬空深く今を澄む月

すっぽりと隠れしつもりの蓑虫よ茶色の頭巾がちよろり見ゆるぞ

一言の挨拶もなく姿消す青葉梟など忘れてやらむ

凡妻なるわれにも老いのふりかかり背山の櫨の赤きに嫉妬す

山田坂を自転車押しつつ帰る子よ高校生だらう漕ぎ上げてみろ

己が身を擬装する気のなけれども法螺といふ貝吹きても見むか

緑陰の風に乗りては聞こえ来る昔乙女のゲートボールする声

強引八まる二まる」を守り来し夫はたうとう一歯を抜きたり

枕木をひとつおきにと跳びゆけば線路の左右に土筆が列なす

山芋は地中に横よこ根を伸ばし蝦夷か千島の果てまで伸ぶるか

玉柘植をすつぽりおおひし昨夜の雪とろりたらりと水母の如くに

明くるにはまだいくばくの時あるに目つむりて聞く青鷺のこゑ

ひと日中鴉とわれとが見張りなすたかが五連の吊し柿をば

知らぬ間に年をとりしと爺の言ふ紅さすわれも古希すぐる身にと

夕芒吹かるるままに櫓田の畔にその穂をあづけてゐたり

かまびすくひと日を鳴ける油蝉我も泣きたきことのあれるを

まき餌ににぎはひて寄る小雀よいず辺の宿より寄りて来たるや

あばら家に住みつきをりし青蛙雨の降るをば知らすか律儀に

くあさぼらけ霧立ちのぼる峡の邑早苗を運ぶ車は忙し

さればとて髪剃り落とす勇気なくにごれるままに浄土を忌避せむ

石段を二つづつ跨ぎ登りゆく股下六十われの脚力

おみくじの結び目かたく願かけてどんどに燃せば火の玉かえり来

さればとて忘るるはずなき母の顔真澄の月の雲隠るがに失す

暖冬を日に異に大根太りゆきわれの足首すでに超えたり

野雪隠出来る娘の嫁ぎ来てわが家の農も先ずは安泰

鳥海山利尻富士には及ばねど四方の山やま緑深かり

物売りのひとりだに来ぬわが邑に不要農機具買ふと触れ来ぬ

ぎゅうぎゅうと首絞められし玉葱が有無は言えずかぶら下がりをり

ゆく水はふたたび泉に戻れねどわれには母待つ古里があり

枯れ草の中より生れたるこほろぎが住処を忘れて鳴き明かすなり

八つ手葉に音立て降り来る小夜時雨母は寝ねしか妹も寝ねしか

人並みと言ふ物差しの飽食にこの国に捨つる数多の糧糧

散りて来る枯葉日に増す裏山の暗き稜線低くしずもる

きらきらと水の面見せて日の沈み釣り人達は竿をたためり

寿命とは定年のなきものならむ悲喜こもごもと通夜に酌む酒

朝靄をつきて真白き木蓮よ苞ぬぎすてて蕾を解きて

裏山の馬酔木の花の下あたりさはとなりたる子雉の声かも

存命を明かしゐるがに牛蛙今年も淀みにその声聞かすか

山びこは素直に夫の声返すわれは時をり返さぬままに

鶯と郭公の声のシヤワー浴び穂孕む稲に追肥撒きをり

月影は手桶の中に静もりてしばしをそこに遊べるがにも

ひと夏を紅一途にとさるすべり咲きて彼岸となりにけるかも

毬栗を被りたるかに若者は髪逆立てて林檎を売りに来

何時死せど悔のなきとふ夫なるも朝夕の薬欠かさず飲みをり

雲海の底となりたるわが邑よ晴るれば柿の簾のゆれをり

休耕田に隈なく野菜を植うる夫施し好きのわれの為にと

師走尽我の走れば猫までがあとつき走る餌をねだりて

生まざるを罪とも思はで五十年親不孝者の我にてありしか

強霜の降りたる田圃に青鷺のしづか静かにその羽をたたむ

朝刊にずしりと重きイラク戦春の疾風に駆るな若獅子

過去からの風は囁く「年ですよ」なんのまだまだ燠は残れリ

何程の事もあらむや子なさずとて所詮老木悉皆成仏

釣り人に鮎いち尾をば賜はりぬ夫の在ぬ間の秘かごとにして

昨日とは少しく違ふ雨足よ明日は晴るるかゆすら梅熟る

合歓の葉よ昼寝のつづきをそのままに朝まで寝ぬるか花載せしままに

風鈴に風の方向見定めて腰を据えたり隣り家の婆

この地球逆廻りするがに暑き秋二割は不作か「こしひかり」刈る

張り替へし障子の内に座す夫よ二つ三つは若く見えをり

牡蠣焼けば海の恋ほしか己が身を焦して垂るるは濃塩の涙か

冬に庭なにも無けむに鵯の去にてはまたも寄りて来るなり

薔薇一輪咲くがに見せてはなかなかに咲かざり合併まとまらざるなり

代満ちて小田のかわづも寝ぬる頃やをら飛び立つ源氏蛍

コーヒーなどわれは飲まぬを進められ「ノー」と言ひなば罪を負ふがに

種子孕む雑草までもがこのわれを老いとみくびり狭庭を占むるか

いよいよに夫も古りしか田のなかに足が抜けぬと尻餅をつく

ドライブにと思いて取りし免許証病院通ひの夫を乗すとは

老女に婆さらに耄なる三姉妹どこまで生きるや遍照金剛

山門に我待ち給ひし老僧の御姿在るがにはや七逮夜

群雀五十羽百羽に餌撒けば雀をどりを見せては呉るる

今年また独活が新芽を吹きにけり君まさぬこと知らざるままに

風紋を素直に見せゐる砂浜に片割れ貝が白き腹見す

向う山は雲を抱きて悠然と鳥や獣を住まはせてをり

 江見真智子 作品集