ふたたびは戻れぬ世なら何はあれ百歳越えよと母の背を押す
理不尽な仕打を怒れば「お日さまはお見通しだよ」と母の一喝
大鼾かきゐる夫が「見てゐる」と突然に言ふテレビを消せば
農薬を潜りし泥鰌田のねきを浚へる鍬にいのち踊らす
簡素化もここまで来しか「樹木葬」墓守要らずと坊さん説きぬ
かたばみを抜かむと掴めば怒るがにはじけしその実に手を打たれたり
友なきを嘆きし母も二ケ月経て「ホーム」に慣れしか目もと落ち着く
やぶ椿の枝たるるまで巻き付きて太るかづらこそ他力本願
IQは何歳ぐらゐや穴掘りて檻より逃げし猪に完敗
ねむられず寝返へりばかり打ちてゐるあしたは母を施設にやる日
人の目に付くと着ざりし若き日の赤きジャケットを古希過ぎて着る
大寒の小さき日差しを追ひにつつ切りぼし大根干し上げにけり
ふたたびの出番と言ふがに赤まんま枯れ草の中に緑を吹き出す
ひつつくぞと言はんばかりに「イトロベエ」道に迫り出し通せん坊をす
かれんなる花も許せず鍬を持て根こそぎ掘り上ぐ驕るかたばみ
七日間の命と知るや雨のなか蝉は一途に声を上げ鳴く
おむつ替ふと右に左に転がして母の介護は本番に入る
雨上がりの緑いきづく畦道に萱草の花の朱色極まる
歌詠みを夫に勧めむ同じ趣味もてば会話も生るるやも知れむ
きさらぎの風にさらされ乾きたる切り干し大根日なたの匂ひす
頑になりゆく我の頭かな押しても引いても歌を詠まざり
お喋りに「デイ」に行くと言ふ母さんの丸き背に撓ふ童話三冊
正門の本読む「尊徳」撤去され球児の像に変はる学び舎
百色のクレパスにも無しと手折り見る露草花の澄めるむらさき
彼の岸へ渡りし人らの賜物か時たがへずて咲く曼珠沙華
お喋りが楽しみなると言ふ母が「デイ」に持ち行く童話三冊
遅霜にシート掛けやりし二畝の馬鈴薯ほれば皆小粒なり
着替へをば手伝ふ我に母が言ふ「仰山お金残さずごめん」と
音痴なるか練習不足か知らねどもホケキヨと鳴けるうぐひすがゐる
半世紀引き来し畑の草ぐさを繋げば地球一周するかも
葬送の叔母の霊とも思はるる落ち椿ひとつ入りつ日に燃ゆ
百歳をめざせる母に古稀我も「筋トレ」なして足腰きたへん
テレビにて大食ひ競ふ若者に大志抱けと親のまなざし
俺の場所と言はんばかりに青映えて枯野を占むる曼珠沙華かな
健康に休むがよしと日日を寝ねゐる夫の体脂肪いかに
待ち待ちてたまはる言葉は「治ります」リハビリ室の窓には青空
兄ちやんとていつも我慢の十歳に小遣はづむ婆ばのお節介
音痴なる鶯もゐむみどり輝る山道ゆけば笹鳴の声
バイバイと言へば婆あばも乗れと言ひ我の手離さぬ二歳の男孫
頑になりゆく我の頭かな押しても引いても歌を詠まざり
お喋りに「デイ」に行くと言ふ母さんの丸き背に撓ふ童話三冊
正門の本読む「尊徳」撤去され球児の像に変はる学び舎
百色のクレパスにも無しと手折り見る露草花の澄めるむらさき
彼の岸へ渡りし人らの賜物か時たがへずて咲く曼珠沙華
お喋りが楽しみなると言ふ母が「デイ」に持ち行く童話三冊
遅霜にシート掛けやりし二畝の馬鈴薯ほれば皆小粒なり
着替へをば手伝ふ我に母が言ふ「仰山お金残さずごめん」と
音痴なるか練習不足か知らねどもホケキヨと鳴けるうぐひすがゐる
半世紀引き来し畑の草ぐさを繋げば地球一周するかも
葬送の叔母の霊とも思はるる落ち椿ひとつ入りつ日に燃ゆ
百歳をめざせる母に古稀我も「筋トレ」なして足腰きたへん
テレビにて大食ひ競ふ若者に大志抱けと親のまなざし
俺の場所と言はんばかりに青映えて枯野を占むる曼珠沙華かな
病む床に恋ひて詠みにし赤坂を真向ひに見て建つ父の墓碑
いくつもの花の寄り添ひうからともスクラムを組む薯の花毬
赤坂は小学生われ等の通学路追剥が出ると駆け足に越えき
幾万の歳月経しやかは原に睦びてならぶ丸き石くれ
楽しいことのみ考へて生きろよと春風のやうな息子のメール
腰病めば絨毯しくごと草生ひて綱引きしてゐる我と雑草
幼子が「ほら」と指差す畔の端にたんぽぽの黄のほっこり温し
化粧水の空き瓶のごとく振れど出ぬ我の頭か短歌出で来ず
住み人の顔おぼろなる空きし家の屋根に登りて蔦の繁れる
農業に明け暮れし四十年いつしかペン胼胝消え失せにけり
県展に入選せしと言う姉の低かりし声がメゾソプラノになる
啄木もじつと見たるに我も見る墨ぬれるがに日焼けせし手を
控へめなる人が好きだと言ひし君ほたるぶくろの咲けば思ほゆ
愛犬の墓に真紅の落ち椿ひとつ上向くみ霊なるかや
いつまでも親不孝を重ねゐる我と思へば遠き春雷
高枝に鳴き交ふひよの鋭き声が過疎すすむ村の空気ふるはす
土に還るを告げゐる声かからからと歩道を吹かれて落葉鳴る音
同級生の津山市長が個人情報の流出わびをり六時のニュース
いっせいに雀発つがに柿の葉が風に吹かれて舞ひ上がりをり
二ミリほどの虫が歌集をせかせかと五分の魂もたげて這ひをり
県展に墨絵が入選したと言ふ姉の声高し受話器に弾む
雑草の茂れる土手のひとところ野萱草咲く夏日に映えて
浴びせられし言葉ひとつが裡深く沈みゐるなり石のごとくに
外灯の点き初むる頃を鳴き出でて蛙は夜のしじまを埋む
「ねえばあば食べられないの」と泥団子つくれる幼のうるめる眼
ほんのりと我の鼻腔をくすぐりて沈丁花の香り風に乗り行く
少子化ぞ産めよ増やせよ若人よ送る世代に夢を托さむ
軒下にしまひ忘れし風鈴が澄みて高鳴る師走の風に
「ふんうん」と納得したるか二歳児は抑揚つけて答へてくれぬ
白つめくさたんぽぽあざみの返り咲く畦にあまねく秋陽そそぐよ
たんぽぽがやさしき日差しに返り咲く母と歩調を合はす農道
杉木立通り抜くれば吉野なる桜の山は風清かなり
秋終へてわが薬指にはなやげるビーズの指輪よフイットなして
孫去にて静かとなりし庭隅にサッカーボールひとつ転がる
白い線を出ると車に轢かれるよ五歳が二歳に教へる歩道
四十年近くを農に励み来てペン胼胝いつか失せ果てけり
和歌の生まれし地を訪ひひと日の豊かさに追伸のごとき赫き落日
窓深く射し来る光の明るきに目覚めて仰ぐ十六夜の月
山畑に腰かばひては笹根掘る清やかに啼けるうぐひすを連れに
子のもとへ行きし夫婦のそのままに庭を覆ひて春紫菀咲く
救急車の赤き点滅透明の空を切りさき駆くる真昼間
放さるるを待たず逃げゐし沢蟹が孫の去にたる部屋に干涸ぶ
南京の蔓たぐり寄するわが巡り夕日を浴びて秋茜とぶ
農薬を逃れしか田の湧水にあまたの蜷の棲みてはをりぬ
物忘れじよじよに増え来ていつしかに我の左手メモ帳となる
山峡の階くだり行く露天湯のランプの明りが闇に潤むも
「作州牛」ひとに差し上げつけ加ふ無農薬なる我の自慢を
芽キャベツの小型のような蕗のたうレジの近くの特別席に
ぼたん雪こな雪みぞれと変形へおだしくはたしんしんと激しくも降る
いく筋も縦横に引かるる飛行雲その空の向うに子らが泣きゐむ
無我となりこの坂のぼれば新しき恋も生るるか三千院の森
フラスコに入れたる鈴をふるやうに河鹿の音いろ谷間に透る
神のみが創りて選びし露草の清かなれる深き藍いろ
部屋すみの敷居にひと夜を明したる雨蛙戻す水木の葉のうへ
かたつむりざりがに金魚だんご虫みな連れて孫がお泊りに来る
庭内に蝉の亡骸仰向を樹下に埋めやる幼と共に
日日に老い深みいるらし母さんがあっけらかんとして同じ事を問ふ
不作なるパンチも受くる黒豆の葉をむしりゆく安値言ひつつ
「一年が早く過ぎましたね」と微笑て嫁と作りし蕎麦美味しかり
粟倉の湧き水汲めばまぼろしに凍死せし姉妹の泣きじゃくる声
花好きの父の賞でにし黒百合がうなだれ咲きをり喪の花のごと
はじめてのウルトラマンの役にして孫に教はる技の掛け方
きれいなる環境作りに参加せむトイレを洗ひ資源ごみに出す
「子供なのにぼくを兄ちゃんと呼ばないで」五歳児の言ふ弟生れて
重重と垂れゐる稲穂を平伏させ十六号台風が足早に去る
草群れにひときわ冴ゆる小さき花紫の花露草が好き
台風の近づくゆふべを雨蛙障子の桟に縋りてゐたり
広戸風があざ笑ふがに怒るがに大樹も雑木も薙ぎ倒し行く
納屋隅に存在感あり馬鈴薯は摘まれてもなほ芽吹くを止めず
何ごとも無かりしごとく粟倉に冬めぐり来て光る冠雪
園児らと独楽を回して焚火して幼日戻る半日の笑み
春陽背に炬燵に微睡む昼さがり布団たたく音がその我急がす
無農薬を信条とすれど理想のみ空回りする野菜づくりか
夕映えを背にはじきつつさはやかに塒指しとぶ一羽しらさぎ
青空をくきやかに飛ぶ白鷺にふと口ずさむ牧水の歌
加百由起子 作品集