付け睫の長きを伏せて操るか「スマホ」の画面に無言を発して

潮騒を遠くに聞きしか蛤は口を開きて記憶を吐き出す

猫の日のあるといふ事知りてよりキャットフードの高きを選ぶ

飲むだけで生きていけさう多種類の「サプリ」が並ぶを「ドラッグ」に見る

山程のごみを出しゆく十二人の年末年始の宴の果ての

人住まぬ父母の家をば開け放ち生活感無き寂しさ追ひ出す

ふる里の坂を登れどもう二度とこの世の母に会ふ事は無し

まかれゆく秋の香りは漂ひて五感を促すこの我の身の

絽の袈裟を翻へしつつ自転車で檀家回りと僧侶は走る

ひそかなる膳の値踏に聞き耳を閉ざせば故人がより偲ばれぬ

横にしか首を振らぬと意固地なる性格変はらず扇風機といふは

窓際に光を集めて飼ひ猫は爪を立てゐるか夢の階に

少しづつ幸を拾ひて過ぎて来し歳月重く計りがたしも

冬空に白く透きゐる月ありて孤高のかほは見する事なし

病歴の自慢話を聞いてをり待合室のソファーに並びて

お互ひの飼猫自慢に花が咲く嫁の自慢はまだまだ先か

小さなる壺に入りぬ人間の最後の姿と義父の遺骨は

新芽出す庭の樹木のさ緑に春風立てば枝ごとさやぐ

池の面の雲の形の真面目さを川鵜の足は壊しゆくなり

離れ住む息子のことを知らぬまま母をしてをり小さき罪持ち

亡き姑の影がちらちら出入りする甕の中なる古き梅干に

蟷螂は柱に卵を産みつけて枯れ木のやうに命果てをり

鳴く鹿の声尾を引きて暗闇を引き裂くごとくに山を下り来

梅雨の夜の空気の淀みを取り去るか除湿器は静かに仕事をしてゐる

両の手にあふるる程の小言をば持ち来て畑の隅に捨てをり

小出しする抽出しの知恵も底をつきわが心には隙間風が吹く

群れなして脹雀が止まりをりりんごの枝をしなやかに反らし

新しき入れ歯が出来たと言ふ母よ口元だけに若さが戻りて

セーターを脱げばパチパチ音のして髪の毛逆立つ大寒の夕

青年と言はれる世代の中にゐる息子二人は面皰を出しをり

かさかさと乾きし音に柿の葉を寄せて集めて秋を掃きゆく

家事を終へ秋の夜長に詠まむとすれば去来しゐるは雑念のみなり

服干せば肩先ふれ合ひ風に揺れここでも夫婦か夏空広ごる

からからの砂漠のやうなる空気吸ふ風もそよがぬ猛暑日の畑に

うろうろと蟻が這ひゆく本の上止まれば一文字変換させたり

小さなる綻びあれどよしとして夫婦の時間を積み上げて来ぬ

雨の日は肩を落してハンガーに吊されてをり乾かぬ服は

わっと言ふ顔そのままに焼かれたり鯛は鋭き歯を剥き出して

細き足一本畳んで白鷺は吉野の浅瀬で春を待つがに

達筆にて正月行事の書かれをり亡き姑の古きノートに

秋の日の僅かな温もり膝で知る洗濯物を畳みゐる時

夫と娘が歩む先には新郎と神父の笑顔が待ちてゐるなり

ふっくらと新米炊きあげ神仏に程よき秋だと供ふる朝

宿題を抱へし甥は達者なる口で逃れぬ猛暑を言い訳に

退屈な雨の日なれば三匹の猫を相手にじゃれても見るか

職退けど夫は「バイト」で若者と同じ汗かく梅雨空の下

手にもちてるペットポトルの影伸ばす晩春の月はのほほんと浮く

満天の星を掬ひて大熊の腰尾は柄杓となりて北指す

桜茶をいただく良き日に長の娘の幸をと祈る親となりたり

切り終へし爪のやうなる三日月がおぼろに光を零す如月

生温き風と乗りたる一匹の虫も客なり地下鉄走る

畑とて地球の一角少しだけ土を借ります野菜作りに

鹿を追ふ犬の鳴き声止みし後銃声三発山裾走る

干し柿を吊せば早も初冬にも季は変はりて日溜り恋ひしむ

御巣鷹に登る遺族の数減りて十八年の時に老い行く

暑き日の燃え立つごときサルビアの小花散りそむ秋の片隅

降る雨に散り行く柿のもみぢ葉の音のみにして山は静もる

浅き眠り破壊をしつつ届き来るメール午前零時の怒りを知らず

忍び来る老いの足音聞こゆれど否定をしつつ今を生きゆく

凍てつきし心を溶かす珈琲の温みよ春の扉も叩く

鶯の鳴く声山より聞こゆれどこの世に哭けぬか埋められし鶏

店先のマネキン水着を着せられて一歩先行くそこだけの夏

流れ行く時は震災風化させ淡路に深まる断層の孤独

合併に揺れゐるふる里市になればたぎちのごとく歴史が動くか

今年また蜂蜜取らむと墓二基を熊が倒せり生きるがために

コンビニでおでんの旗がゆれる頃銀杏の葉群は大樹に色づく

役目終へ鋤き起こされし田に降れる霜の白さにきびしき冬見つ

防犯のブザーにたくす親心のせてランドセル背負ふ児童ら

花瓶にて蕾ふくらむねこやなぎの細やかなる春を仏間に運ぶ

大いなる夕日がずんずん沈みゆく芽ぐみ来るものに息吹を与へて

空高く市議候補者の放ちゆく連呼の声が春の陣張る

厨にて蕗の皮向く夕暮れは何故か気忙し箱苗青く

パソコンを打ち込む若き医師の手をわれじっと見つめぬ手を病むわれは

いちやうんい黙して数字を見つめをりエレベーターの扉があくまで

三台の携帯電話がそれぞれの着信メロディーにて子等に朝告ぐ

ふる里の初物づくしを箱につめ秋のたよりと娘に送らむ

退官の夫がいだきし花束は家族を支へし腕に咲き満つ

音声の指示に従ふ「ATM]にいつしか我は飼ひ慣らされをり

受け取りし荷物の箱に貼られゐる天地無用の中身はりんご

ひと日だけ主婦を忘れて夫忘れをんなひとりの今小正月

日ごと出るごみと一緒に愚痴ふたつ指定の袋に共に入れたし

熱燗はこれくらいかと飲むうちに頬に朱がさす客より先に

妹は双子を遺して逝きたるに月は放つか無常の光を

押入れの奥に見いでし数冊の童話の本に戻る童心

細やかなる幸と気づきぬ食卓を囲む家族があるといふ事

経本をめくりつつ読む朝夕のわが声たどたど仏間に響く

白桃の最後のひとつを惜しむなく夫は食べたり我はぐのみ

手に載せて木綿豆腐を采の目に切れば冷たし初秋の朝

 福島美智子作品集